胎内高原は新潟県北部に位置していますTainai kougen
【胎内ファームの田んぼは、こんなロケーションにあります。】胎内ファームから、西側の海方向
胎内ファームは、新潟県北部の胎内市に流れる胎内川を遡上した胎内高原にあります。
この写真は、飯豊連峰の麓、胎内スキー場の奥から海向き(西向き)に撮影したもので、眼下に広がる田んぼで米作りを行っております。
写真上部で横に稜線が広がっているのが、日本一低い山脈「櫛形山脈」です。
この櫛形山脈の向こう側が日本海です。
この山脈が、日本海に沈む太陽を遮り、西日の熱からお米を守ってくれます。
この櫛形山脈と、背面に位置する飯豊連峰の間に、田んぼが位置し小さな盆地となっており、お米を栽培するのに最適な地理的条件を満たしています。
夏の暑い日も、飯豊連峰から冷気が降りてくるなど、出穂後の登熟期には昼夜の寒暖差が生まれ、旨味成分が夜間に米粒へ蓄えられる好立地にあります。
【胎内ファームの田んぼは、こんなロケーションにあります。】胎内ファームから、東側の山方向
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飯豊連峰の麓 豊富な雪が豊かな水を作り出し、大地を潤します
【胎内川が形成した肥沃な扇状地】
上流にダムを2つも有する胎内川。源流は磐梯朝日国立公園に指定されている飯豊連峰。冬には多くの雪を抱え、ゆっくりと染み込んだ雪解け水は山々に染み込み、山麓だけでなく、遠く離れた下流地域でも「伏流水」として湧出し、大地を潤しています。
胎内高原の地域では、自然のままの川の流れを保護しています。昭和の大水害の対策からダムが2つ作られ、水害をコントールしているものの、豊富な水量は、肥沃な扇状地を形成しています。
こちらは、そろそろ収穫を迎える時期のコシヒカリです。
最上部の写真とは反対向き(東向き)になります。
高い山の麓に田んぼがありますので、朝日が昇るのも遅くなり、昼夜の寒暖差が生まれる環境となっています。
写真奥に見えるのは、胎内高原スキー場。樹木が切れている箇所が、急斜面の滑走コースです。
胎内高原の冬は、積雪量が豊富で、スキー、スノーボードを楽しむ若者、ファミリーで賑わっています。私も孫を連れてスキーを楽しんでいます。
とは言え、積雪量が多いと、毎日の除雪作業や、春までに数回行う屋根の雪下ろが必須となるのでした...
雪が田んぼの害虫を駆除して、雪の下では微生物が土を作ってくれます
晩秋を迎えると、雪が降っては融けてを繰り返し、時には放射冷却で氷が張ったりしながら、降雪が続いて根雪になります。
厚い雪に覆われた田んぼでは、微生物が活動を続け(時には休み)、土づくりに良い働きをしてくれます。
田んぼ周りの降雪量が多いのですから、飯豊連峰の山全体の積雪量は、それはそれは豊富です。
初夏を迎える頃まで、残雪を目視することができるくらいです。
山に積もった雪は、春を迎え、ゆっくりと融けだします。ここ「胎内川」も雪融け水が豊富に流れます。
また、雪融け水は地中に染み込み、長い距離を移動して、伏流水として地表に現れる地域でもあります。
早春には、国道脇で自生する水芭蕉を見ることができます。
田んぼの脇には胎内川が流れ、夏には鮎が遡上する清流となっています。
縄文の清水 分谷地(わけやちA遺跡):新潟県夕景文化財「考古資料」、胎内市記念物「史跡」
胎内ファームの田んぼ脇、台地の段差には、昔から飯豊連峰からの伏流水が噴出していました。
平成12年(2000年)に実施された発掘調査で、縄文時代早期から弥生時代中期の集落遺跡が明らかになり、その湧き水は「縄文の清水」として保存されています。
縄文の清水では、4,000年前の朱漆塗りの耳飾りや、鉢などが出土しています。村上堆朱の原型かもしれませんね。
お米作りも、はるか昔から行われていたことでしょう。
江戸時代から続く米作り
このような環境の下、胎内ファームの米作りは江戸時代から始まり、私で5代目となります。
米作りは50年となりますが、まだ50回しか育てていない、とも言えます。
毎年、変化する自然環境を良く観察し、新潟県から提供される栽培技術情報を参考に、この地域で適用する時期を見定めて、今年も新しい挑戦を行っています。
インフォーメーション
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